また今日も本の感想。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

なんか1時間くらいで全部読み終わってしまった。すごくガソリンチックな主旨だけど、でもこれで燃え上がる人はそもそもこんな本読まないのかも。
自分の中の「分かんないものを頑張って理解しようとする」的な営みは、多分、昨日もふれたJ-oの日記とかsawadaspecialの更新が滞り、俺ニュースやmakelaren.comあたりがロストしたのと同期して廃れていったかなという印象。で、それは自分が就職して自由時間が激減していく過程とも同期してたりするので、割と個人的な要因でそうなったと思ってたのだが、オタキングの論でいくとそれは時代的なものであるらしい、と。そうでしたか。ニコニコとか見てると、コメ欄で長老が披露するトリビアに自称ゆとりな人が感心して精進しますとかいう反応してるのをたまに見かける気がするので、そういうサイクルが絶滅してしまったわけでは無いとは思うんだけどねー。まあ、そもそも僕程度の濃さというか薄さではオタキングのいうところのオタクにはまるで程遠いレベルなので、何を偉そうなこと書いてんだと自分でも思うけど、まあいいや。
あと、「○○は死んだ」の先例でSFしか語られてないのがちょっと不満。個人的には、このキャッチフレーズだと「ロックは死んだ」の方が先に来る感じなので。多分、精神論的なそもそもの話から、本田透The Smithsの類似性みたいな細かいネタまで、この文脈で語れそうな話って一杯あると思うんだよねー。まあ、オタキングは昔からコラムとかでロックは理解範囲外と宣言してるので、これをオタキングに求めるのは自分でも無理だとは思うけど、誰か書いてくんないかなー。